フィクションです

サブカルワナビーと恋愛的価値観

 

『花束みたいな恋をした』を観た。

 

公開当時、わたしは本屋でバイトをしていたが、ほぼ毎日今村夏子の文庫本の在庫を若い人に聞かれていた。なぜかと同じバイトの子に聞いたら、「今やってる『花束みたいな恋をした』の影響だよ〜、観てないの?」と言われた。さも観て当然みたいなテンションで言われて少しムッとした。「恋愛映画あんまり好きじゃないんだよね」といってわたしは話を逸らした。

 

正直、日本の恋愛映画はわたしの中で勝手に一まとめにカテゴライズされていて、どの映画を観ようか決めるときの優先順位はかなり低い。

 

なので、公開当時も当たり前のように観なかった。

 

 

そんなわたしがどうして観ようと思ったのか、ちょっと前にやっていた『ブラッシュアップライフ』が面白くて、ああいう会話劇みたいなドラマを観たいなと思って何があるかなと探したときに『大豆田とわ子と三人の元夫』がアマプラで配信していた。これも話題になってたなぁ〜と思って、観始めたら面白くて一気に全話観た。GW中で良かった。

そして、坂元裕二監督作品を他にも観たいな〜と思い、1番上に出てきた『花束みたいな恋をした』を観た。

 

 

とんでもない爆弾だった。

 

好きなカルチャーでうっすら他人を差別し見下してる描写、ギリギリ他人にわかるラインのくそしょうもないプライドとマウント、まんま自分過ぎてダメだった。

しかも自分は有村架純みたいに可愛くないし。

こういう人のこと “サブカルワナビー” というらしい。

はぁ〜、キツい。前半の描写全部がキツすぎる。

彼らの趣味趣向の好きは浅くて、一過性のものに過ぎない。映画の段階では人生を変えるほどの好きには出会えてない。なんとなく大衆が好むモノとは違うモノを摂取して、そんな自分に酔っていて、でも無自覚で。

わたしもああいう本棚だし、名画座に行くし、写ルンですで写真も撮っていたし、アニメの実写映画なんて支持できないし、ワンオクも「聴けます」って言っちゃうと思う。

いまは多少マシになったけど、未だにそういう痛さは全然あると自覚している。

 

「どうせ消費され尽くされた量産型エモ恋愛映画だろ」と斜に構えて観ていたら、まさかのそういうわたしたちを真正面からぶん殴りにくる揶揄映画だった。死んだ。

 

 

 

そしてわたしはその映画を観て、過去に付き合っていた人のことを思い出した。

 

その人は歳が一回り離れていたけど好きな音楽が似ていて、好きなものを共有できる時間はとても楽しかった。

でも、好きな音楽は似ていたけど、わたしはお笑いと映画が好きで、彼は演劇とシーシャが好きだった。

きっと好きだと思うと連れられた演劇は、どんな内容だったかもう全然覚えていない。そのあとは演劇に誘われなかったし、行かなかった。シーシャも連れられたけど、別にあんまり美味しくないし楽しくなかった。

わたしが会話の中に芸人のネタを織り交ぜても、彼には通じなかったし笑わなかった。特に下調べもせず、3回目のデートで行った映画は、あんまり面白くなくて気まずい空気になった。

 

だけど全く同じタイミングで、同じ歌を口ずさんだりとか、同じ漫画を同じ熱量で語り合えたりとか、そういう同じ趣味趣向だからこそ過ごせた時間っていうのは本当に楽しかった。

 

だから別れたあとも、彼も好きだったバンドの新譜がよかったとき、思い出す。カラオケに行ったとき、『サイケな恋人』のコールアンドレスポンスして楽しかったなとか、そういうことを思い出す。

だけどそれはそっと思い出のなか。

 

その元彼は多分結婚した。Twitterのアカウントには鍵がかかっているから見れないけど、リプで数人から一気に「おめでとう!」と言われていた。新しい女がいることはなんとなく分かっていたし、いい歳だし、おそらく結婚だろう。

 

だけど、彼の年1で投稿するかしないかのインスタグラムには未だにわたしとの写真が残っている。そういう無神経さがわたしには無理だった。

 

結局趣味が同じでも、恋愛に対する価値観が違うとうまくいかないと思う。あとは、笑いのツボ。

 

いま付き合っている彼とは全く趣味が合わないけど、毎日お腹が痛くなるほど笑っている。

あとは、恋愛の価値観も大体似ている。

趣味が違うからこそ、教えてもらうことも多々ある。わたしの好きなものを馬鹿にされてムカつくこともあるけど、まあそれはそれで、改めて人間同士わかりあうことなんてできないかと、諦めることもできた。好きな人に好きなものを強要することって地味に残酷だもんね。元カレのときは少し無理していたし、わたしも無理をさせていた。

 

 

良くも悪くもこんな感じで色んなことを思った。おわり