フィクションです

ぎゃー!

 

 

どんなお化け屋敷も平気だけど、唯一恐怖を感じた探検迷路があって、度々その迷路のことを思い出す

 

これ作ったとき絶対キマってただろっていうカオス感、まるで高熱のときに見る悪夢、しぼんだ風船に所々切れている照明、サイケデリックな床天井、雑な装飾、「はい、おっぱっぴ〜」「それ、わかちこわかちこ〜」が流れるだけの謎のスイッチ、永遠にBGMとして流れるKAT-TUNのRESCURE、著作権度外視、情報量の過多

この空間にいると狂うと思って急いで出た わたし以外に施設内には誰もおらず、たった1人でこの空間に入ってしまったことをかなり後悔した

 

思い出したけど、なんていうアトラクションかわからなくて検索をかけた

なかなかヒットしなくて、わたしの思い出が本当のものだったのか怪しくなって余計に怖くなった

なんとか探し当てて、その迷路が『デンジャーメイズ』という名前のアトラクションだったということを知った

Twitterで検索かけたら、「ガンギマリ過ぎてシュールの向こう側に飛んでいる」「キチガイアトラクション」と言われていた

しかし今は別のアトラクションになっていて、きらびやかでちゃんと子どもも楽しめる今どきな迷路になっているらしい

 

わたしの記憶は合ってたー!よかったー!と安堵したのと同時に、もうあの空間には戻れないのかーと少し寂しくなった

 

悪夢のような現実をもう一度味わいたかったな、それでは

 

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Twitterに写真を載せてくれてる方、ありがとう

おかげで鮮明に思い出せたし安心しました

 

 

 

 

 

思うこと、色々

 

 

就活…就活…就活…うるさいんじゃボケ!

 

いい企業に入りたいとは全く思わない、いわゆる年収が高いとか社員数がめっちゃ多いとかめちゃくちゃ名の知れた大企業とか、そういう世間的に “良い” とされている会社に別に魅力を感じない

 

ただ働くなら、わたしはわたしが楽しいと思える仕事をしたい

だってこれからの人生ほとんどが働いて生きていくんでしょ、それなら嫌な仕事よりやりがいのある仕事でしょ!ってねぇ〜

まあでもそうなってくると、やりがいのある仕事ってなに?大きな仕事?それなら、大企業だよねってなってきたりするんだけどもね トホホ

 

 

まあそんなことより、わたしには絶対に譲れない将来の夢がある

 

サモエドを飼う

 

これです これを軸に生きている

でも現実的なことを考えると、大型犬を飼うには一軒家と車が必要で、そうなってくると環境的にも金銭的にも都心よりも田舎のほうがいいよねってなってくるわけで、(都会も田舎も住んだけど、そもそもわたしには田舎暮らしの方が合ってたぽいし)、ていうことで結局田舎に行くならこれからのわたしは何をすればいいんだって感じ

 

でもおそらくまだ数年は東京にいるから、東京でしかできない経験をせっかくだからしたいとやんわり思っている

 

 

わたしは色々と適当だけど、それなりに負けず嫌いだし上昇志向もある方だ(そこに現実が追いついているかはさておき)

だけど、この前友達が「俺将来タワマンに住みたいんだよね」と言っていて、わたしは「タワ…マン……?」となった

わたしはタワマンをそこまで魅力に思わないし、ステータスだとも思わない だけど、人によっては夢になりうるんだと思ってビックリした

タワマンでブイブイ言わす(表現古い?)生活よりも、花と本と動物がいる古い家屋での暮らし、自給自足できる生活のほうが全然サイコーだと思うので、上昇志向といっても「なりたい自分」の形が人それぞれ違うから、分かり合えないなと思った そりゃ仕事のやり方とかでぶつかり合うわけだと思った

ま、分かり合う必要も別に無いんだけどね

 

 

いまはとにかく創作意欲がすごい、できることなら一生何かを創っていたい

昔、元カレが「受動的じゃなくて能動的に何かやりたい」と言っていて、当時は意味がわからなかったが、今はよくわかる

作る喜びって半端ないよね、ねー?

目の前でアドレナリン爆発してる人や物を見るとデカい感動と畏怖と同時に、嫉妬で胸が苦しくなる わたしもそっち側にいきたいという強い衝動に駆られる

何かに夢中になってる人ってやっぱりかっこいいよ、それが自分軸なら尚更

わたしもそうなりたいんよ だって何も無いから

 

 

「学生時代に力をいれたことって何ですか?」←これ、いわゆるガクチカですね。就活でよく聞かれるやつ。

これさぁ「整形」って答えたらダメなん?本当に、わたしが学生時代に頑張ったことで胸張って言えるのって整形だけなんだけど!自分のコンプレックスを変えるために、19歳で150万必死に稼いで、たった1人で初めての海外、韓国に行って骨を切った度胸、その辺の大学生よりもすごいだろ

 

一度目標を決めたら、それを達成するまでの執着って半端ないと思うよ、そこには怨念もあるけど

 

わたしにはそれしかないから、ね

 

 

なんだか自分が好調だと人に嫌われがちだな

無意識のうちに調子に乗って嫌なやつになっている?それとも他人の気持ちに鈍感になっている?自戒しなきゃなとも思うけど、だけど何も言ってくれないのは凹む わたしだって拒絶されたら悲しい 友達だと思っていたのに そんなに軽い関係だったのかなって

 

放っておくのが1番ってわかっているけど、だけどそれでもこの悲しい気持ちを飲み込んでわたしが受け入れる必要があるのか?って考えるとなんだかなって思っちゃうな

 

 

 

 

 

自己実現の鬼ゆえに

 

視野が広くなったと思う

 

昔からブログやSNSに度々文章をしたためているが、ログに残っているものを読み返すと若いなと思う

 

別に今も年齢でいえば全然若いんだけど、考え方や価値観が未熟で無鉄砲で感情的で、そういう少し目を当てるのが恥ずかしくなるような"若さ"が数年前にはあった

 

何年か前は無気力で、とりあえず生きていけたらいいやとなんとなくで生きていた

それが少しずつ自分のなかで憧れるもの、なりたいものが形となり、進みたいと思える道が見えてきて、そこから逆算的に今やるべきことも明確化してきた

 

いまのわたしは、希望で溢れていると思う

だからこそ排他的になってしまったとも思う

 

性格が良くも悪くも前よりもキツくなってしまった

人は無意識のうちに人を選別していると思うが、昔のわたしはそういうことはなかった

もちろん相性の良し悪しはあるけれど、基本的には全員の考えに寄り添えるタイプの人間だった

ただ、今は同じ熱量の人としかいたくない

だから「しょうもないな」と思ってしまった人とは関わりたくないと思ってしまうようになった

前のわたしと比べると嫌な人間になってしまったと思う

 

でも、わたしは自己実現のために生きたいので要らないものは切り捨てていきたい

 

いまが1番の頑張りどきで転機だと誰よりも自覚している

 

だからこそ、いまは自分にも他人にも厳しくありたい

呼吸がしやすくなった、いまは自分の人生をちゃんと生きてるって思うからこの感情を大切にしたい

 

 

 

01:01:00:13

 

晦日はいつもダウナー、1人でいると余計なことばかり考えてしまうね

 

欲しい人からの新年の挨拶は全く無くて、どうでもいい人からの新年の挨拶に返事をしなくてはならない、それがうざったくて全部の通知をオフにした

 

新年の抱負とかないよ、どうせいつまでも満たされないキチガイだから

 

でもいまは側にいるシャム猫を抱きしめて眠れる幸せを噛み締めて生きたい

 

ゆるい呪い、例えば日照時間が短くて少し鬱気味な12月、プレゼントもケーキもないクリスマス、本当は年なんて越したくない、嫌いな人間に笑顔で挨拶をしなきゃいけないお正月、それでもわたし冬生まれだから冬が好き

 

思い描いてたものとは年々違うものになっているけど、だから面白いよねって笑う

 

君もそうでしょ おやすみ

 

 

 

 

 

死体蹴り

 

彼氏が突然、夢に出てきた女の話をしてきた。夢に出てきたその女は昔、自殺した友達らしい。夢に出てきたその女の話をする彼の姿を見て、わたしは「死ぬのってズルいな。」って思った。

 

彼と彼女がどれくらいの関係性だったかは分からない。「多分、俺のこと好きだったと思う。」「死ぬ前に色んな人にLINEを送ってたらしいんだけど、俺には来てなくて。その後、その子の母親からメッセージがきて。告白の一歩手前みたいなそんな感じで途切れたメッセージの履歴が送られてきたんだよな。」彼は横でそんなことを言っていた。そんな話聞きたくもないから返事もせず、わたしは黙っていた。

 

わたしは何度か自殺を試みたことがある。でも失敗して、いまこうしてここにいる。こういう話になると、「死んだって何も残らないよ。」とか「周りの人の気持ちも考えなよ。」とか言う人がいるけど、そんなの嘘だし、知らないし。

例えば、わたしの方がその女よりも彼のことを絶対好きだし、一緒にいる時間も長いし濃いと思う。でも、別れてしまったらそこで終わりで、わたしのこともいつか好きじゃなくなって、記憶からも少しずつ無くなってしまう。だけど、その自殺した友達のことは彼にとって一生忘れられないだろうし、年1で墓参りにも行く。それってさ、別れた彼女よりも死んだ友達の女のほうが、ずっと記憶に残って会えるってことじゃんね?歪んでると思うよ、でも、一生忘れられない女でいたいから、一生一緒に居られないなら、わたしは死にたい。そういう女だよ、わたしは。

それは彼だけじゃなく、友達もそう。どんなに大好きで大切な友達も、環境が変わって徐々に疎遠になって会えなくなる。そしてきっと、わたしのことも思い出さなくなる。そうなるくらいなら、“自殺した友達”として一生のトラウマを植え付けたい。

 

自殺したいと思ったきっかけなんてもうわからないよ、初めてリストカットをしたのは13歳、初めてODをしたのは15歳、初めて首吊りを試みたのは17歳。膨張し続ける希死念慮は、もう今さらどうすることもできなくて、でも今は誤魔化し誤魔化しでなんとかやってきてるんだよ。殴られて怒鳴られて、なんで生きてるのかもわからない。そんな10代を乗り越えて、いまがあるんだよ。

 

めちゃくちゃ愚問だと分かっていたけど、ひとつだけどうしても聞きたくて、彼に聞いた。「なんでその子は死んだの?」彼は「よくわかんないけど、まあ家庭環境も悪かったしね。」と答えた。

わたしは「なにそれ?」と思った。家庭環境がどうのこうのってさ、そんなのほとんどの人がそうだよって思った。わたしだって、親がバカで宗教にハマって金ドブにしたことも、親が不倫しまくってることも、親に数え切れないくらい殴られたことも、祖父に犯されたことも、全部笑ってネタにしてるし、黙って耐えてきたよ。そんな話つまらないし、誰も得しないってわかってるから話題にもしないけどさ。でも本当は、わたしだって「可哀想だね、大変だったね。」って言って欲しかったよ。死んで同情されるならそのほうがマシだと思った。

 

その女は死ぬ前に色んな人にLINEを送っていたらしいけど、普通そんなことする?って思った。そういうズルさが余計にあざとくて彼の話を聞いてイライラした。死ぬなら静かに死ねよ。誰にも何も言わずにひっそりと死ねよ。と、心の中でわたしは彼女の死体を蹴った。

 

死ぬのってズルいよね、わたしだって死にたいよ。でも死ねないじゃん。これは死ねた女に対するただの嫉妬です。醜いね、じゃあね

 

 

 

 

過呼吸とテスト

 

ふと泣きながらテストを受けたことを思い出した。

 

中学2年生のときに、わたしはめちゃくちゃマセガキだったので恋愛をしていた。♡両思い♡みたいな感じじゃなくて、しっかりグロテスクな恋愛をしていた。

 

どの季節かは忘れたけど、後にも先にもこの人しかいないと思った当時の彼氏が、保育園から仲良くしてたわたしの親友と浮気してて、それがまあすごい裏切られ方で、14歳で未熟だったわたしには流石にダメージがデカすぎた。

 

ショックで泣いて、泣き過ぎて過呼吸になって、でも誰にも言えなくて、すごく苦しかった。

その後もずっと胸が締め付けられるような感覚で、意識しないとちゃんと呼吸ができないようなそんな状態だった。

 

そして確かその時期はテスト期間中で、そんな状態でもテストは受けなくちゃいけなかった。遅刻して登校したのか、その辺の記憶は曖昧だけど、みんなと同じ教室でテストを受けるのはキツかったから、別教室で受けさせてもらった。わたしと似たような不登校気味の男の子も1人、同じ教室でテストを受けていた。

 

テストが始まって、できるだけ無心で解いた。が、解き終わった瞬間、頭の片隅にあった嫌な記憶が脳内を支配して、グルグル回り始めて、またどんどん呼吸の仕方を忘れて、わたしは思いっきり過呼吸を起こして泣いていた。

ただそれに気づいているのは同じ教室でテストを受けている不登校気味の男の子だけで、わたしはその男の子の目も気にせず泣いた。というより、呼吸ができないことが苦しくて泣いていた。鼻水もボタボタこぼれて最悪な状態だった。ただ他人の目を気にする余裕すらなくて、呼吸することで精一杯だった。

 

すると、ふとティッシュが目に入った。その男の子が教室の隅にあった箱ティッシュを何か声をかけるわけでもなく、わたしの机にそっと置いてくれていた。わたしは少しずつ少しずつ呼吸を取り戻して涙を拭いた。気づいたらチャイムがなって、先生がテストを回収する頃には、涙は収まり机にたくさんのティッシュがあるだけだった。男の子にありがとうを伝えようとしたが、男の子は教室をいち早く出て行ってしまっていた。

 

その男の子とは、テスト以降、顔を合わせることはなかった。

いま思うと、あんなに取り乱して人前で泣いたのは最初で最後だった。男の子からしたらテスト中に泣き出すの訳わかんないだろうし、わたしはめちゃくちゃな醜態を晒したし、すんごい恥ずかったなと思う。でもそのときに先生とかを呼ばずに、ティッシュを差し出してくれただけで、本当によかった。

 

あのときの男の子の優しさとか、今になってすごく胸に沁みる。不器用なりのさりげない優しさ、ああいう優しさを持ち合わせた人間にわたしもなりたい。

 

あとそして、過呼吸は苦しいからもうできるだけなりたくない。

 

 

 

 

 

 

8月26日

 

22歳の夏休み。

地元に帰省したタイミングでコロナウイルスに罹ってしまって10日間実家で隔離生活だった。

家族以外の誰とも会わず、緑に囲まれた実家で10日間もだらだらと過ごす。あまりにも流れる時間がゆっくりだから、わたしの呼吸も自然と深いものになっていった。

 

隔離期間の後半は体力も回復して暇だったので、カメラを持って音楽を聴きながら近所を散歩した。高校生になった頃くらいから、だらだら歩くなんてことしなくなった(自転車や車で移動することがほとんど)から、色んな発見があって新鮮だった。

「ここにこんな家できたんだ。」とか「このアパートってこんなにボロかったっけ?」とか、「カエルめちゃくちゃいるなぁ、気持ち悪いなぁ。」とか。10年で町も自分もなにもかもだいぶ変わっちゃったなあって寂しくなった。

 

なんとなく小学校への通学路を歩いてみたくなって、小さな小さな橋を渡った。そしたら、週5で幼なじみと歩いていた道、あのときのまま変わらない景色がそこにあった。

全部変わってしまったと思っていたのに、そこにまだわたしの知ってる景色が残っていたこと。それがこんなに胸いっぱいになるなんて思ってもいなかった。

川沿いに目を向けるとたくさんのトンボが飛んでいた。そのトンボの羽根に西陽が反射してキラキラ光っていた。まるで妖精みたいだった。

ふいにノスタルジーに殴られたわたしはもうダメだった。涙が溢れてしまった。イヤフォンからはYEN TOWN BANDの曲が流れていた。

 

安堵した。未だになにが幸せかはわからない、というより幸せが少しずつ遠くなっていくようなそんな毎日だけど、忘れたくない景色がわたしにもあること。それに気づけたこと。過去を振り返ってばかりのわたしだけど、それでよかったと今は思える。

 

そんな気持ちを抱いて大人しく帰路につくと飼い犬が尻尾を振って出迎えてくれた。